ああ...ホメオスタシス
春の度に春が来て、私の部屋の中は少し夏になり、人生の意味とか、射してくる日差しの白さとか、歩きながら歩くことについて考えている
 鳥達が大きく鳴き出したので起きることにした。置き時計には12:18と表示されていて、まだ昼か、起床時間というものは大抵賽の目のように決まる、みたいだな、陽光は喝采みたいだなとか思う。今も窓の外では、街の装置が驚くほどの精密さで調和を奏でている...何のための?私はあくびをして部屋の空気を思い切り吸い込んでは、今日も人生が誰のものでもない事を思い、また密かに喜んだ。この部屋は操縦者を失ったまま、だだ広い未来のもっとも深いであろうところへゆるゆると堕ちていっている。恐ろしいことだ、と思う。「日常」のもっとも恐ろしいシーンはどこだろうか。それは7巻98ページの--------- 
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勉強机の上には洗っていないコップとオナホールがあり、それを隠すように苺ましまろが積み上げられていた。これが私の生活か。こんなことだから、否が応にも原発問題への見識が深まってしまうのだ。その知性の塔に捕まるようにして、少しづつ私は立ち上がろうとした。12分以内に立ち上がれればそれで、よい。  というか試験近いなあ。近い、と思う。というかその真っ盛りである。というka記憶によると、安田教授の微積分の試験が今から数えて7分後にある。現在までは布団の上にいて日光の流れる時間をずっと微分していたのだが、

「全然勉強してないよぉ〜 ヤバイヤバイ」顔を洗いながら数年ぶりのノリで鏡に話しかける。12時23分。「勉強してない」のはしょうがないし只の怠惰だし別にいいんですけど、「ヤバい」のはここ数年ずっとそうでもう一生治りそうもない。
顔を綺麗に拭いて、さて、今日はどこに行こうか-----

松屋行きたいな。松屋が家の外とはとても思えない。しかし松屋に行くためには一度外を経由しなければならないのがとても理不尽だと思うので、いつかシャボン玉同士がぶつかりつながる時みたいに、家と松屋がぶつかって、知らず知らずのうちに一つの空間になればいい。
なぁ、と思う。